千葉地方裁判所 平成7年(ワ)1235号 判決 1998年12月02日
原告
甲野春子
右訴訟代理人弁護士
近藤一夫
被告
富士火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
白井淳二
右訴訟代理人弁護士
江口保夫
同
江口美葆子
同
豊吉彬
同
山岡宏敏
右江口保夫訴訟復代理人弁護士
中村威彦
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は原告に対し、金一七〇〇万円及びこれに対する平成五年一〇月四日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、被告との間で締結した火災保険契約に基づき、平成五年七月九日発生の火災により原告使用の店舗に生じた損害に対する保険金合計一七〇〇万円及びこれに対する弁済期の翌日である平成五年一〇月四日から右保険金の支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を請求している事案である。
一 前提となる事実(2の事実は甲二五により認め、その余の事実は争いがない。)
1 被告は、損害保険業を営む株式会社である。
2 原告は、平成四年九月二五日、高橋好彦から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、二階の一室(二〇三号室)及び一階西側の店舗部分84.19m2(以下「本件店舗」という。)を、期間を平成四年一〇月一日から二年間、賃料を月額一五万円との約定で賃借し、以後、二〇三号室に居住し、本件店舗において、クラブ「ホストクラブクイーン」(以下「本件クラブ」という。)を営んでいた。
3 原告は、平成四年一〇月二八日、被告との間で、原告を被保険者として、本件店舗について、次のとおりの店舗総合保険契約(以下、「本件保険契約」という。)を締結した。
(一) 保険の目的 本件店舗内の什器備品・機械設備一式、造作
(二) 保険の目的の所有者 原告
(三) 保険金額 什器備品・機械設備一式につき四〇〇万円、造作につき一〇〇〇万円
(四) 保険金を支払う場合 火災、落雷等によって保険の目的について損害が生じた場合
(五) 臨時費用保険金 火災、落雷等によって保険金を支払う場合、保険金額の三〇%に相当する金額を、三〇〇万円を限度として支払う
(六) 保険期間 平成四年一一月二〇日から一年間
(七) 保険金の弁済期 保険金請求を被告が受理した日の一か月後
4 平成五年七月九日、本件店舗内から出火した火災(以下「本件火災」という。)により、本件店舗を含む本件建物の延べ二四二m2が罹災した。
5 原告は、本件保険契約の約定に基づき、本件火災発生後、速やかに保険事故の発生を被告に通知した上、被告の指示に従って保険金請求の手続をし、原告の請求は遅くとも平成五年九月三日までに受理された。
二 争点
本件の争点は、被告の免責事由の存否としての出火原因(本件火災が原告の故意によるものか否か)及び損害額である。
1 原告
(一) 出火原因
本件火災は、原告の故意・重過失によるものではなく、原告以外の何者かが、ガソリン又は灯油を用いた火炎瓶により、本件店舗中央の仕切壁付近の床に放火したものである。
なお、本件火災前後における原告の行動は次のとおりである。
(1) 原告は、平成五年七月九日(以下、同日における事実については日付を示さない。)午後七時四五分ころ、本件クラブの営業開始の準備をするため、自室である本件建物の二〇三号室を出て本件店舗北側裏口から入り、照明を一ヵ所点灯させてから、本件店舗の南側の正面入口まで行き、入口ドア脇にあるネオン及びシャンデリアのスイッチを入れ、さらに、ネオンの点灯確認及び室内の換気のために正面入口を開けてネオンを確認した上、店内全体の照明のスイッチを入れるために再度裏口付近へと戻った。
(2) 原告は、裏口へ戻る際物音がしたように思って振り返ったところ、店内中央にある目隠し用の仕切壁付近から男性が出ていったような気がしたため、男性の客が間違って入ってきたのかと考え、正面入口の方向へと戻りかけた。すると、この仕切壁付近から炎と煙が立ち上がった。
(3) 原告は、火事であると思って、本件店舗内のカウンター上にある電話で通報しようとしたが、炎と煙でたどり着くことができず、裏口から出て二階の自室に戻り、自室の電話での通報を試みたが、焦っていて電話がかからなかった。
(4) 原告は、近隣の住民に火事を知らせようと考え、外に出て、「火事だ。」と叫びながら向かいの家に駆け込んで通報を依頼した上、水道ホースを延ばして初期消火に努めた。
(二) 損害
(1) 本件火災により、原告に生じた損害は次のとおりである。
什器備品・機械設備 五四三万六二〇〇円
造作 一〇四五万九〇〇〇円
(2) 右損害によって、原告は、本件保険契約に基づき、什器備品・機械設備、造作のそれぞれの保険金額の限度額である四〇〇万円及び一〇〇〇万円の保険金並びに三〇〇万円の臨時費用保険金の支払を被告から受ける権利を有する。
(三) よって、原告は、被告に対し、本件保険契約に基づき、保険金一七〇〇万円及びこれに対する弁済期の翌日である平成五年一〇月四日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 被告
(一) 原告の負債の状況、本件クラブの経営状況、火災原因、原告の目撃状況及び通報状況に関する供述の不自然さに照らし、本件火災は、原告が故意に発生させたもので、被告には保険金支払義務はない。
(二) 原告に生じた損害については不知。
第三 判断
一 事実認定
1 前記第二の一で認定の事実に、証拠(甲三、一八、二五、乙一ないし五、六の1ないし4、七ないし一四、証人忠地隆男)及び弁論の全趣旨を総合すると、本件火災に関し、次の事実が認められる。
(一) 本件建物(登記簿上の一階部分の床面積は119.24m2であるが、ほかに床面積約二四m2の増築された未登記の平家部分があった。)の位置関係は、平成五年当時、本件建物の西側に隣接して海老原定吉(平成九年四月初旬死亡。以下「定吉」という。)宅(以下「海老原宅」という。)が建ち、定吉及び同人の妻である海老原栄子(以下「栄子」という。)が居住しており、また、南側は県道に面し、これを挟んで佐々木近蔵宅(以下「佐々木宅」という。)が建っていた。
本件建物は、二階部分はそれぞれ床面積約三三m2の三ヵ所の居住用部分になっており、一階部分は、西側部分が未登記の増築部分を含む床面積84.19m2の本件店舗、東側部分が床面積約59m2の別の店舗部分となっており、平成五年当時、この東側の店舗部分では、スナックミカが営業していた。
本件建物の周囲には、本件店舗南側の正面入口を出てすぐ左側に一ヵ所、本件店舗北側の裏口を出て左側に一ヵ所、佐々木宅の庭に一ヵ所、それぞれ水道栓があった。
(二) 原告は、平成四年九月二五日に、高橋好彦から、本件建物二階の二〇三号室(床面積約三三m2)及び本件店舗を、期間を同年一〇月一日から二年間、賃料月額一五万円、家賃は翌月分を前月中に前払いとの約定で賃借し、それ以降二〇三号室に居住しながら本件店舗における本件クラブの開店準備を始め、同年一二月三日に本件クラブを開業した。本件クラブの営業は、原告のほか、店長一名、チーフ一名、アルバイト一〇名によって行われ、営業時間は、平成五年初頭以降は午後八時から翌日午前〇時までであった。
(三) 本件火災当時の本件店舗の状況は、別紙図面のとおり、南北に長く、店舗南側には東向きに正面入口があり、北側には北向きに裏口が設けられていた。本件店舗内部の状況は、中央南寄りに目隠し用の仕切壁(巾一二〇cm、厚さ一二cm、高さおよそ二mのもの。以下「本件仕切壁」という。)が設けられ、その南側にはカウンターやボトル棚、花台等が配置され、北側には革製のソファーやレーザーカラオケ、トイレ、洗面所が配置されており、床には一面に防火じゅうたんが敷かれていた。壁と天井には、ボードが用いられ、その上に布クロスが張られていた。
(四) 本件火災の状況は、出火日時が平成五年七月九日午後七時四〇分ころ、出火場所は本件仕切壁南側の床付近で、出火原因は、何者かによる灯油を用いた放火である。
(五) 本件火災の鎮火後、本件仕切壁の南側西寄りの床のじゅうたんの上には、落下した炭化物とともに、割れたビールの大瓶の破片が散乱しており、首の部分の破片には、詰物がしてあった。この付近のじゅうたんは強く焼け、ここから灯油が検出された。なお、本件クラブでは、ビールは中瓶しか扱っていなかった。
2 原告は、本件火災の媒介物がガソリンである可能性を主張し、甲一八(原告の陳述書)及び原告本人尋問の結果中にはこれに沿う陳述記載及び供述部分がある。
しかし、本件火災後相当の日数を経て作成されたと認められる館山消防署長外一名作成の消防長に対する火災調査書(乙一)では、当該じゅうたんから灯油が検出された旨及び出火原因は灯油に火をつけて放火したものである旨記載されており、右調査書はその作成目的・内容やその断定的な記載内容に照らし、必要な科学的調査分析を経て作成されたものと考えられる上、後記原告の燃焼状況に関する供述(ガチャンと音がして振り返ったとき、人影に気付いたが、火には気付かなかったとして、ガソリン着火に特有の火えん、爆発音等に言及していないこと)に照らすと、これがガソリンによるものとは考え難く、放火に使用された油分は灯油であったものと認めるのが相当である。これに対し、原告の前記供述部分は、本件火災の翌日に実施された現場検証の際、館山消防署の担当職員が、本件仕切壁の南側付近のじゅうたんの切れ端をバケツに張った水に浸したところ、水に油が浮いたため、右職員が原告に対し、その場で、当該油分の種類はガソリンか灯油かであるという推測を述べたというにとどまるものであって、右認定の妨げとなるものではない。
二 被告は、保険金支払の免責事由として本件火災が原告の故意行為(放火)によるものであると主張しているので、この点について検討する。
1 本件火災発生後の原告の行動等
証拠(乙一、二の4、七、八、一一、一二、一四、証人忠地隆男)によれば、この点に関し、次の事実が認められる。甲一八の記載及び原告本人の供述中、この認定に反する部分は、後記2で検討するところに照らし、採用しない。
(一) 本件火災発生当時、定吉及び栄子は、海老原宅でテレビを見ていたが、午後七時四五分ころ、栄子が番組の途中のコマーシャルの間に自宅南側廊下のカーテンを閉めようとしたところ、本件店舗の換気口から黒煙が吹き出しているのを発見して火災発生に気付いた。定吉は、門扉を閉めるために庭先に出ていたが、栄子から火災の発生を知らされ、二人で、原告を呼びながら本件建物の近くまで歩み寄った。本件建物の裏側とブロック塀を挟んで反対側の地点まで来た定吉と栄子が再度大声で原告を呼んだところ、原告から「はい」と返事があったものの、原告が消火活動をしている様子がなかったので、定吉は、原告に対し、「何やってるんだ、火事だろう。」と怒鳴った。その後、栄子は、午後七時四九分ころ一一九番通報をした上で、バケツを持ち出して、定吉及び折から駆けつけた佐々木宅の佐々木厚弘とともに、自宅の旧母屋の風呂場から水を汲んでバケツリレーをして、本件店舗の西側壁の換気口に水をかけ、消火活動を行った。
(二) 原告は、午後七時四五分ころ、佐々木宅に駆け込み、在宅していた小学校六年生の女子に対して、消防署へ火事の連絡をしてほしい旨告げた。しかし、この女子は消防署への連絡方法がわからなかったため、佐々木宅から約一二〇m離れた精肉店で働いていた父親佐々木厚弘に電話をかけ、火災発生を知らせた。佐々木厚弘は、自宅が火事であると誤解して佐々木宅へ急行したが、途中で火災が起きたのは本件建物であることに気付き、海老原宅に行き、前記のとおり定吉及び栄子のバケツリレーに協力して、消火活動を行った。
一方、原告は、佐々木宅の庭の水道栓のところにあったホースを持ち出して、県道中央付近まで引っ張っていったが、水道栓の蛇口をひねらなかったため、水は出なかった。
2 原告の供述状況
(一) 本件火災発生当時の状況に関する、原告本人の供述、火災調査書(乙一)中の原告の供述の録取部分、久保田調査事務所作成の調査報告書に添付された原告作成の「火災発見からその後の行動」と題する書面(乙九)、原告作成の陳述書(甲一八)(これらを以下「原告の供述等」という。)の内容は、次のとおりである。
(1) 本件火災発見までの状況(甲一八、乙一、九、原告本人)
原告は、午後七時四五分頃、開業の準備のため本件建物二階の住居から一階に下り、北側裏口から本件店舗に入り、内部の照明及び外のネオンサインを点灯させた上、南側の正面入口を解錠して電飾の看板を外に運び出して点灯させるとともに、ネオンサインの点灯を確認した。そして、再び正面入口から本件店舗内に入り、ドアを開けたまま店舗の奥(北側部分)に向かったところ、店舗奥のカラオケ装置の付近まで来たときに、ガチャンというような物音がしたため後ろを振り返った。すると、本件仕切壁とボトル棚の間から、男性らしい人影が、正面入口付近から外部へと出ていくのが見えた。人影は、背丈が普通の成人男性らしく思われた。音が聞こえ、振り返ったときには、人影しか気付かず、そのとき火が出ていることには気が付かなかった。
これを見た原告は、人影を追いかけようとして再び南側へ向かって歩きだし、本件仕切壁の手前付近まで来たところ、本件仕切壁の右側、ソファーの向こう側付近から、ソファー背もたれの上約五〇ないし六〇cmの高さの炎と煙が立ち上がった。
(2) 火災発生直後に本件建物内で一一九番通報を試みた状況(甲一八、乙一、九、原告本人)
原告は、この炎を見て火事だと思い、本件店舗南側のカウンターの上にある電話で一一九番通報しようと考えたが、炎と煙、熱気、恐怖心のために本件仕切壁の左側を通ってその南側に行くことができなかった。そこで、原告は、北側の裏口から店舗外に出て、二階の自室に戻って一一九番通報を試みたが、館山の市内局番をダイヤルしてから一一九番をダイヤルした(二二―一一九及び二三―一一九)ため、電話はつながらなかった。このような番号をダイヤルしたのは、以前コンビニエンスストアで店長として働いていたときに、警察署に通報するために市内局番に続けて〇一一〇番をダイヤルしていた経験があったからである。一一九番をダイヤルすれば通報できることは、後で消防署の職員に聞いた。
(3) 佐々木宅に行ってから本件建物北側に回るまでの状況
(ア) 甲一八、原告本人
自宅からの通報を断念した原告は、近隣の住民に助けを求めることとし、外に出て、「火事だ。」と叫びながら県道南側の佐々木宅に駆け込み、中にいた中学生くらいの女子に一一九番通報を依頼した。
原告は、佐々木邸の玄関を出たところに水道ホースがあるのを見つけたので、その蛇口を回して水を出した上、近くにいた数名の男子中学生にホースの運搬を依頼したところ、通りすがりの女性がこのホースで放水して消火活動を行った。原告は、消火活動をするために本件建物の北側へと回った。本件店舗の正面入口付近にある水道栓で消火活動を試みなかったのは、その存在を知らなかったからである。
(イ) 乙九
本件建物二階から降りて佐々木宅に行き通報を依頼したが、中学生くらいの女子だったので、通報ができたかどうかは分からない。佐々木宅からホースを持って県道を横断し、火事を見物していた中学生の男子三、四人にホースを持ってもらったが、結局水は出なかった。通りがかりの男女のうち男性がホースで水をかけてくれた。
(ウ) 乙一
佐々木宅へ駆け込み、通報を依頼して、佐々木宅の水道ホースを伸ばして初期消火をした。
(4) 本件建物北側での消火活動
(ア) 甲一八
本件店舗の北側では、駐車場にあった水道とホースを使って消火を行おうとし、蛇口を回してから北側裏口のドアを開けて店内に向けて放水した。
(イ) 原告本人
本件店舗の裏口のドアを開けたところ、煙が吹き出してきて放水できず、やむを得ず、本件店舗の西側に回って、本件店舗西側壁の外部に通じた換気口に向けて放水した。
(二) 原告の供述等の内容の検討
(1) 出火状況について
原告の供述等では、ガチャンという物音に続いて男性らしい黒い人影が本件店舗から出ていくのが見え、その数秒後にはソファー背もたれの上五〇〜六〇cmに達する炎が突然発生したという。
しかし、灯油は揮発性が低く、着火した場合にも、付着した壁面や床面の繊維分を芯として緩慢な燃焼を生じる燃焼特性を有するものである(乙一七)。したがって、前記のとおり本件火災は灯油を媒介として放火されたものである以上(前記一1(四))、原告の右供述はその燃焼状況の描写としては不自然なものである。
また、仮に本件火災の媒介物がガソリンであったとしても、その場合は、着火と同時に爆発的燃焼が生じるはずのものであるから、爆音や爆風に一切言及せず、しかも人影が立ち去った数秒後に炎が上がっているのに気付いたとしている原告の供述等は、やはり整合性に欠ける。
さらに、本件火災の出火場所付近に散乱していたビールの破片が、本件クラブでは使用されていなかったビールの大瓶のものであったとの前記認定事実を前提とすると、本件火災の発見直前にガチャンという物音がしたという原告の供述等は、原告が目撃したという男性が火炎瓶を用いて本件店舗に放火したことを示唆するものである。しかし、仮にそうだとすると、原告が目撃した人影の男性は、当初から灯油の入ったビール瓶を持ち歩き(原告の供述等によれば、本件店舗の正面玄関を解錠してからガチャンという物音を聞くまでの間はせいぜい数十秒程度であるから、当該男性が、正面玄関が解錠されたのを目撃してその場で火炎瓶を用意したと到底考えられない。)、原告が本件店舗の正面玄関を開けて開店準備をしているのを偶々認めて本件店舗への放火を決意し(又は放火を計画的にねらっていたことも考えられるが、本件クラブが、計画的な放火の目標とされるような事情を窺わせる証拠はない。)、店舗内に戻った原告に続いて本件店舗内に侵入して、火炎瓶に点火してこれを放り投げ、直ちに立ち去ったということになる。しかし、このように、何者かが具体的な目標を定めることなく火炎瓶を持ち歩いて、たまたま本件クラブの正面玄関が開扉されたのを認めたからといって、咄嗟に本件クラブ内部への放火を決意し、原告に姿を目撃される危険も顧ず(原告に姿を見られて放火を思い止まったところで、本件クラブはホストクラブであってしかも開店前である以上、少なくとも不審人物として記憶される危険は依然として残る。)、原告に続いて本件店舗内に侵入して、火炎瓶を放り投げて放火を敢行するという行動は、放火犯人のものとして極めて不自然というべきである。
(2) 原告の供述等では、本件仕切壁の右側、ソファー背もたれの上約五〇ないし六〇cmの高さの炎と煙が立ち上がったので、火事だと思って本件店舗南側のカウンターの上にある電話で一一九番通報しようと考えたが、炎と煙、熱気、恐怖心のために目隠仕切壁の向こう側へ行くことができなかったという。
しかし、本件仕切壁は幅が一二〇cmのものであるから、その右側で炎が上がったからといって、緊急時であるにもかかわらず、炎と煙、熱気、恐怖心のために通路である本件仕切壁の左側を通ることさえもできなかったとする原告の右供述は不自然である。また、前記の灯油の燃焼特性からすれば、発火の数秒後に、炎が高さおよそ一mにも及び、発火地点から約一m離れている本件仕切壁の左側を通れないほどの熱気が生じていたものとは考えにくく、この点からも原告の供述は不自然である。
(3) 原告の供述等によれば、原告は、本件建物二階の居宅に戻って一一九番通報を試みたところ、市内局番をダイヤルしてから一一九番をダイヤルしたのでつながらなかったが、このようにダイヤルをしたのは、以前セブンイレブンに勤務していた際に、酔っ払い客に対応するため警察に一一〇番通報したことが何度かあり、その時にこのようにダイヤルしていたためであるというのである。
しかし、一一九番通報のためには単に一一九番をダイヤルすれば足りるということは、極めて一般的な社会常識に属する事柄であるから、一一九番通報のためにまず市内局番をダイヤルするというのは、それで通報が可能かどうかは別としても、それ自体極めて不自然な行動といわざるを得ない。加えて、仮に市内局番をダイヤルしてから一一九番通報をする方法があったとしても、その方法が効を奏しなかった場合に、これに続いて単純な一一九番のみのダイヤルをしなかったという原告の供述は、いずれにせよ不自然である。そして、そもそも、市内局番の後に一一九番ないし一一〇番をダイヤルすることで緊急通報が可能であるとの点も、それ自体が極めて疑わしく、従前同様のダイヤル方法によって一一〇番通報をしたことがあるとの原告の説明も、にわかに信じ難い。なお、原告の供述等では、以前一一〇番通報をした際は館山の市内局番の次に〇一一〇番をダイヤルしていたというのに対し、本件火災の際には市内局番に続けて〇一一九番ではなく一一九番をダイヤルしたというのであって、このようにダイヤルの方法が異なっていることに鑑みると、本件火災の際のダイヤルが以前の経験に基づいてされたものとの点もにわかに信じ難い。
(4) 佐々木邸の庭のホースを持ち出して原告が試みた消火活動については、前記1(二)のとおり、佐々木宅の庭の水道栓から引かれたホースは、水道栓の蛇口がひねられなかったため、水は出なかったのであるから、甲九以外における原告の供述等は、いずれも事実に反する不自然なものというべきであるし、それぞれが相互に齟齬を来たしていることについても、原告からは何らの合理的説明もされていない。
(5) 原告の供述等によれば、原告は、佐々木宅から戻って本件建物の裏に回って消火活動を行おうとしたという。
しかし、佐々木宅から本件店舗の消火に向かうのであれば、本件建物の裏に回らずに、本件店舗の正面入口脇の水道栓を使って、開いたままの正面入口から放水するのが、時間的にも、出火地点から考えた消火活動の効率の面からも、合理的な行動というべきである(なお、乙六の1によれば、平成五年八月三日当時右水道栓付近にはホースが置かれており、これは隣接するスナックミカの店舗前の観賞用植物に水をやるためのものと認められるので、本件火災当時もその場にあったものと推測される。)。この点について、原告本人の供述では、原告は、この正面入口脇の水道栓の存在は知らなかったというが、当時は本件店舗で本件クラブの営業を開始してから約七か月を経過していたのであるから、右の供述は信用できず、結局右水道栓を使わずに裏口に回った原告の行動は、合理的説明を欠く不自然なものであるということになる。
(6) 本件建物の裏側に回って行った消火活動に関する原告の供述等は、甲一八と原告本人の供述との間で、どこから放水したのかという点において齟齬を来しており(裏口からか、換気扇からか)、これについて原告からは何らの合理的説明もされていない。のみならず、右の原告の供述等は、いずれも、前記1(一)で認定した、定吉が原告に対し「何やってるんだ、火事だろう。」と怒鳴った際原告は消火活動をしている様子がなかったとの事実にも反するものである。
(三) 以上検討したところによれば、原告の供述等は、出火当時の状況に関し、合理性を欠くものが数多くあり、真に経験した目撃状況を供述したものとは認められない。また、火災発生後の行動についても、不可解・不自然な行動を内容とする供述や、他の証拠から認定できる事実と齟齬を来している供述が見られる。
3 原告の資産状況及び本件クラブの経営状態
(一) 証拠(甲八、九の1、2、一〇、一一、一五、一六、一七の1ないし5、一八、一九、証人忠地隆男、原告本人)によれば、次の事実が認められる。原告本人及び証人忠地隆男の供述のうち、この認定に反する部分は、採用しない。
(1) 原告が、本件クラブの開業に要した初期費用は、次のとおり、少なくともおよそ合計一七四九万五二〇〇円であった。
滝川表具店(建具工事費用)
二九七万円
脇建設こと脇雄治(内装工事費用)
四四五万円
有限会社南総高圧(ガス水道工事費用) 一四万九〇〇〇円
有限会社スズキ電気(電気器具等購入取付費用) 一七五万円
大丸家具(家具購入費用)
一六〇万円
カーテン一式購入取付費用一四万円
什器備品購入費用
五四三万六二〇〇円
本件店舗権利金 一〇〇万円
(2) 原告が、本件クラブの開業費用のため調達した資金の内訳は、次のとおり合計一二〇〇万円である。
自己資金 二〇〇万円
親類からの借入金 七〇〇万円
滝川表具店代表者名義による銀行からの借入金 三〇〇万円
(3) 本件火災当時、右(1)の初期費用のうち、少なくともおよそ三二五万円は未払となっていた。このうち、有限会社スズキ電気に対する一七五万円の買掛金債務については、経営者が原告の親類であったことから、支払が当面猶予されていたものであるが、大丸家具については、頭金一〇万円が購入時に支払われたのみで、月賦とされた残金一五〇万円の支払はまったくされていなかった。
(4) 本件火災当時、右(2)の開業資金のうち、借入金は全額が返済されていなかった。
(5) 原告は、本件火災当時、本件店舗等の賃料(翌月分を前払い)のうち、平成五年一月分から同年七月分まで七か月分合計一〇五万円の支払を滞っており、支払の催促をうけていた。
(6) 原告は、同年五月から同年八月まで、日本生命健康保険組合館山保養センターで昼間はアルバイトをし、一か月四万円ないし五万円の収入を得ていた。
(二) 右(一)の事実を総合すると、原告は、本件クラブの開業にあたり、用意した開業資金約一二〇〇万円を少なくとも約五五〇万円上回る費用をかけ、この費用については開業後約七か月を経過した本件火災当時も、およそ三二五万円が未払となっており、原告は、このほかに、親類からの借入金七〇〇万円、第三者名義による銀行からの借入金三〇〇万円の負債を負っていたものであり、他方で本件クラブでの経営状態は赤字体質で、開業当初である平成四年一二月に支払うべき翌年一月分以降の家賃の支払をすべて滞っており、平成五年五月ころからは、アルバイトにより月額五万円を稼ぐ必要に迫られるほどに金銭的に困窮していたものと認められる。そして、本件店舗が火災に罹災し、その内部が全損となった場合に本件保険契約に基づき支払われる保険金は、原告の請求によれば、什器備品及び機械設備一式、造作、臨時費用保険金のそれぞれについて、本件保険契約上の限度額である四〇〇万円、一〇〇〇万円、三〇〇万円の合計一七〇〇万円であるというのであって、この額は、原告が本件火災当時有していた負債を完済してなお余りあるものである。このように、本件店舗が火災で罹災して保険金が支払われる事態になれば、原告にとって、赤字体質の本件クラブの営業を解消するとともに、一三〇〇万円を超える負債を一挙に弁済する資金を手に入れることができるものであった。この事実は、本件火災が、原告の手によって故意に引き起こされたものではないかとの疑念を抱かせるに足りるものというべきである。
なお、証拠(甲二三、二四)によれば、原告は、本件店舗に関する水道料金(平成四年九月二五日の開栓から平成五年八月一七日の閉栓までのもの)及び電気料金(平成四年一〇月分から平成五年七月分まで合計三万九一〇七円)を、平成八年一一月五日の時点で全額を支払っていた事実が認められるものの、右の各支払が遅滞なく行われたものであるかは明らかではないし、仮に電気水道料金が滞りなく支払われていたとしても、右の認定の妨げになるものではない。
また、原告本人の供述及び甲一九(原告の陳述書)の記載中には、本件クラブの開業当初は利益は出なかったものの、平成五年三月以降は、月の売り上げは一五〇万円を超え、費用として一か月当たりおよそ一〇〇万円はかかったが、利益が一か月当たり五〇万円ほど出るようになり、店の経営は順調であったとする部分がある。しかし、前記(一)で認定した諸事実を総合すると、本件店舗の家賃や大丸家具に対する債務の未払の理由について何らの合理的説明もすることなく、帳簿等の具体的根拠もなしに単に利益が出ていたという結果のみが述べられている右証拠部分は、採用することができない(なお、原告は、本人尋問中で、本件クラブの経営状態に関し、必要経費や帳簿の記載内容について曖昧な供述を繰り返した上、最終的には本件クラブでは収益は上がっていなかったことを自ら認める供述をしている。)
4 検討
以上1〜3で検討したところによれば、本件火災は、何者かが本件店舗内の床に灯油をまいて放火したことが原因であるところ、第三者である放火犯人らしき人物を目撃したとする原告の供述等や、その後の一一九番通報を試みた状況に関する原告の供述等は不自然なものであるほか、その後の消火活動の状況等に関する原告の供述等は相互に齟齬を来たし、あるいは他の証拠から認められる事実と相違する内容であって、原告がこのような供述をしていること自体が、本件火災への原告の関与を強く疑わせるものであること、本件火災当時の原告の経済状態が不良で、本件店舗が火災により罹災することは、保険金入手及び本件クラブの経営からの離脱という両面において原告に経済的利益があったこと、ほかに、原告が水道栓を回さずに佐々木宅からホースを持ち出して消火活動を試みたり、本件建物北側で消火活動を行っていないことを定吉に咎められているといった諸事情と、前記一1で認定した事実を総合的に勘案すると、本件火災は、原告の放火によるものであると推認することができる。
5 したがって、本件火災による損害は、保険契約者である原告の悪意によって生じたもので、被告にはこれを填補する責任はないから、被告の前記免責の主張は理由がある。
三 以上によれば、本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
(裁判長裁判官長野益三 裁判官桐ヶ谷敬三 裁判官宮﨑謙)
別紙物件目録<省略>